作家の言葉
「Essence of Being 存在のエッセンス」
私は人生を、精神的と同時に世俗的に、複数の段階で体験しよう
と心がけている。自然の中には、創造と一体感をもつ感情から
発する、感興がある。都市では、人々の、そして人間がその生活から
作り出すリズムに自分自身を合わせる。聖なる場所はこの二つの間に
かかる橋となるが、そこに私は平和な雰囲気を感じる。
多次元の世界では、感じ、見、聞くことはあるていど同時に起こる。
その時私は、"存在のエッセンス"をおぼろげながら感知するのである。
私は人生を、深刻さと同時に楽しさをももって生きている。そこに、
〃存在のエッセンス〃を感じるのである。
写真家として周囲の環境に意識を払うことは、イメージを探すフォーカス
となる。
エドワード・レビンソン 2000-2005
Cityscapes(シティースケイプス)
繁雑な都市は人間観察をするのに魅惑的である。自然の中では私は宇宙の情感を覚えるが、都市で私を感動させるのは、人間の情緒である。
都市文化と娯楽は人に感興を催させるものだ。が、今住んでいる田舎から都会に来ると、私の感覚は圧倒されてしまう。いったいこのサーカスのような環境の中 で、人々は自己の感覚というものを維持でさるのだろうか。どうやって、都市の時間の洪水の中に、否み込まれないようにしているのだろうか? どこでバランスをとっているのだろうか?
私がピンホール・カメラで撮る都市の写真は、私の人間観察への興味とフォトジャーナリズムの延長である。シャッターは音が立たず、ビューファインダーの技 術の必要無いピンホール・カメラは、どんな邪魔もせずに私に写真を撮らせてくれる。長い露出時間は、人々と場所が時間の流れとともに作用するのを、じっく りと観察させてくれる。そうして私はいつのまにか彼らの空間へ入り込み、彼らと体験を分かち合うのである。
ピンホール画像では、"社会"は時として正体不明に現れる。人々はそこに
"いる"がしかし、そこに"いない"。いったいどのくらいの人々が、現実的に"覚醒"していてその瞬間を意識しているだろうか? 何人の人が、今ここを断 ち切って、自分自身の世界の中に埋没しているのだろうか。堅い建物の線は、柔らかい人間や暖かい光とは対称的に鋭くきり立つ。公園は砂漠を感じるものに とってオアシスとなり、広々とした空は、コンクリートジャングルの隙間から光を射しこます。けれども都市に磁力を与えるのは、洪水をなす人間と、その思想 と、そしてエネルギーなのである。
エドワード.レビンソン Edward Levinson
1998
「日本の伝統ーー神話か現実か」 Sacred Japan -- Myth or Reality?
20年以上を日本で暮らしてみて、日本の精神性をカメラによってどの様に
とらえることができるか、と自問する自分を見出だしている。自然、伝統、
宗教と新しい日本との関連は何か。
私は常に、神社仏閣、家屋や田畑その他の聖なる場所にある雰囲気と活力
に魅せられてきた。それらの自然に対する解放性と閉鎖性とが私の魂をかき
たてるのである。時にそれは視覚的な魅力であり、時には匂いや音である。
これらの写真は、私の日本の心の風景を蘇らせるための個人的な旅の記録で
ある。
しかしこれらは、私が出会い発見した様々な場所の単なる記録ではない。
そこにいたことによって私がどの様に感じたかを反映しているのだ。瞑想や
祈りや祭りを観察し、私自身それらを実行することによって、体験が私の心
の目を通してフィルターにかけられる。同時に日本人が感じ、信じ、体験す
ることを私は理解する。そして私が感じるのは、日本人の意思表示と自己の
運命への服従に対する、美徳と言われる曖昧な態度である。一体何が現実で
何が神話なのだろう?
その日本の精神の曖昧な像を忠実に映し出すには、ピンホール・カメラに
よるおぼろげな像が適切である。ピンホール・カメラは神話と現実を融合す
る微妙な技法をもっているからである。そこで私はこの一連の写真をピンホ
ール・カメラによって撮影した。ピンホール・カメラによってとらえられた
現実の世界は、時として幻想的に印画紙の上に現れる。長い露出によって、
結果はしばしばチャンスと運命に委ねられる。そのために、この原始的なカ
メラは、日本の精神的伝統の神話と現実に焦点を与えるのに適当な方法であ
ると私は信じている。
エドワード・レビンソン 1996
Edward Levinson (1996-2002)
ヨーロッパ・デジャ-ヴュ Europe Deja vu」
ヨーロッパは常に、そのロマンチシズムと郷愁の想いで人々を魅了してきた
今、そのヨーロッパは新しい時代に入っている。東西の壁は消え、幾つかの
国々は分離した。それでもなお、ヨーロッパは合体して共に歩んでいる。この
劇的な時の間、世界中からの人々が〃旧き伝統〃や〃旧きもの〃がまだ存在し
ているかどうかを確かめに、ここに集まり続けている。日本に二〇年近く住ん
でいる私は、日本から出て〃西側〃諸国を訪ねる度に、新鮮な空気を一息つく
感じがする。
文化と雰囲気を求める私はヨーロッパを選ぶ。最近の旅で、私は初めて東欧
諸国を何か国か訪ねた。そこは私の祖先が出たところなのだ。自然なことだが
人は大きな都会や場所や人々のエネルギーに引き寄せられる。地にぬかずく人
々の美しさをもつ地方は私の魂に触れるが、それは私の写真のもう一つのシリ
ーズのテーマとなっている。
ヨーロッパを巡ると、物事の〃旧さ〃に対する畏敬の念が感じられる。とく
に東欧では、既視感(デジャ-ヴュ)すなわち帰郷の感覚が蘇る。市場で老い
た女性たちを見るのは、私の心にある永遠の祖母の顔を見ることだ。カウンタ
ーの向こうにいる男は長いこと不明だった私の〃叔父〃かもしれない。道を行
く物売りは兄弟だろうか。
観光地で私は人間観察をし、裏道を歩いて洗濯物干しや遊ぶ子供たちを探す
そして自分への慰労にカフェに立ち寄り、苦いコーヒーによって私の潜在意識
にある記憶を沸々とたぎらせるのである。
記憶は写真になり、写真は記憶になる。
エドワード・レビンソン 1999年 夏
「水天Mugen」
私の住まいは海から10キロの内陸にあるが、それでも海を〃聴く〃 ことが
出来る。空をよぎる雲が、私の思考を海岸に運んでいく。私は光に目を凝らし
荷物を積みっ放しのバンに飛び乗って、大好きな場所の一つへ向かう。
海岸で波の流れを見守っていると、リズミカルな動きがイメージを刺激する
私は一体、何回ここに来ただろう? すっかりおなじみの場所だ。だがそれに
もかかわらず、ここはなんと新しくて新鮮なのだろう。その瞬間の感情をつか
む方法は、季節の光と風の呼吸による。海をピンホール写真にする〃準備〃を
していると、私の頭の中を考えが行く。
「考えが行く」と言ったが、それは半分無意識なのだ。それは内なる風景の記
憶と結合した、感情あるいは直感である。この体験を他人と分かち合いたいと
いう願望は、私にカメラを取り出させる。
他の装置ではなくなぜピンホールなのか? 私は実際にはこの世界を、現代
のカメラがするように秒単位の断片としては見ていない。心と精神と、すべて
の感覚を駆使し、15秒間、1分間、1時間という長さである場面に入り込む
ことは、私にとって人生それ自体を熟視することなのである。見渡す限りの広
大さで海を眺めると、それは私の記憶に記録されるのだ。
田んぼの畔道で、林の中の小川に沿う森の中で、光の飛び交う滝の前で、雲
一つない空を見上げていると、これらのすべてが同じ一つの感応をもたらす。
道具としてのピンホールカメラは、自然の中で、これら親密な時間の中で私
が感じるものを表現する助けになってくれる。目はレンズの口径である。イメ
ージは、私の感光する内面の存在に焼き付けられる。〃悟り〃という覚醒は瞬
時に起こるのだろうが、それは時の流れに乗って生じるものの、極致なので
ある。
ピンホールカメラは、私の進行中の旅の目撃者となっている。カメラと私は
共に、その場面を観察し、保存し、そして持ち帰るのである。
エドワード・レビンソン 2001
「Shadows Talk」
私は十代の頃から、世界を動かすリズムを感知していた。野原に
寝転び、頭上に浮かぶ雲を見つめ、そして宇宙との一体感を感じた
初めての時を、今でも思い出す。そのような体験は非常に単純なこ
とに思える。だが日常生活の繁雑さの中で、その感情をいともたや
すく忘れてしまうのはなぜだろう。
私の日々は、来たるものと為すこととで構成される。陽が昇ると
その日は輝く。太陽は自然の秩序に従い、私の活動は時としてその
動きに応じて決められる。私は光を注視し影を追う。光と影が、舞
う蝶のように、のんびりした犬のように、疾走する馬のように動き
回って遊ぶのを見守る。
「存在のエッセンス」は、まさに自然によって為される作品のシリ
ー ズである。光はそのすべての形態に見られる。影は様々な声で語
る。これら二つの力の統合を観察すると、新しさと古さ、過去と現
在、可視と不可視が見える。私にとってピンホール写真は、この二
つの世界を繋ぐ糸を作り出すことなのだ。それは、明るさと暗さが
自然な方法で寄り添うバランスを、探求することなのである。
ある場面は私の過去を晒す。あるものは、私のはるかな祖先のル
ー ツに達する。またあるものは未来を想像させてくれる。けれども
そのどれもが私を興奮させるのは、今、ここにしかない貴重な瞬間
だからである。ある意味ではそれらは個人的であり、私の生活の記
録であるから特別なのだが、しかし同時に、他者にとっても何らか
の意味あるものだと私は信じている。
私たちは皆、ある種の似た記憶や、郷愁や、既視感を共有してい
る。それは私たちに感動を与える陽の当たる風景、雑踏、聖なる場
所、あるいは静物であるだろう。私たちがそれを見、何かを受け取
っ て私たちの旅を続けるなら、そのどれであっても良いのである。
エ ドワード・レビンソン
2002年
Edward Levinson (2002)
"Watching and Waiting"
毎年忙しくない年はない。撮影のための旅か、展示の準備、本作り、また昨年のように新しい家とスタジオを建てていた りする。自分が望む以上に忙しくしているものは、単に日常の決まりきったことや普段の生活からくるプレッシャーだったりで、何も創造的な活動ができなかっ たと反省する日々が過ぎていく。 だが作品を制作するのにあまりに忙しかったりインスピレーションがわかない時でさえも、出来ることがある。それは、ひたすら周囲の世界に対して目を開き続 けていることだ。 注意を払っていれば最終的には何かが見えてくる。それは他人には何も意味のないことかもしれない。でも私には意味のあることなのだ。
アメリカ人の表現で"Keep on trucking" というのがあるが、それは「突っ走しり続けろ」という意味だ。ガンと闘っている私のピンホール仲間は、"Keep on pinholing"「ピンホールをやり続けろ」をスローガンにしている。私の望みは、何がなんでも"Keep on looking"「目を開き続けろ」だ。きらめく銀座やひなびた旧い東京(下町)をうろついているとき、または田舎やたまたまいるどこででも、私は注意深 く見、写真的瞬間を待っているのである。
エドワード・レビンソン
2004年
Edward Levinson (2004)
Silhouette Stories
写真の向こう側 (影シリーズ)
写真家であれば誰でも、光、影、形とフォ ルムに魅せられる。写真の背後にある物語、
写真が語る物語にも深い興味をもつ。
このシリーズ作品で、私は別の世界を見る ために、〃真実〃らしきものの向こう側を見ようと試みた。
それは静物のオブジェが演じながらする対 話によって生命を与えられる、作り事の世界である。
花、フィギュアー、ガラス類、水がステー ジに上がる。〃スポットライト〃がそれらを照らす。
私の作る舞台は、その日に作ったセット、 その時の朝の光、そしてディレクターと〃俳優〃の
インスピレーションが続く間のみ存在す る。
シルエットのシリーズ作品は、スクリーン の裏側に、俳優が安心してその正体を顕すことができる
雰囲気を作り出す。
ドラマを創出する間、私は、現実の人生で 中心をなす内面的な質である、
喜び、平和、美、尊敬、ユーモア、自由、 そして愛を見出すのである。
エドワード・レビソンン 2006
"Fears and Hopes"
恐れと希望 ( ジオラマシリーズ)
世界は゛完全゛からはほど遠い。だがアーチストとして写真家として私はこれまで、否定的な部分でなく、肯定的な部分に集中してきた。けれどもシリーズ [Cityscapes]を撮り始めたとき、私は自分の写真に、社会について のドキュメンタリー 的 提言が 求めずして 現れているのを発見した。
後にポーランドにある強制労働収容所アウシュビッツで 撮った自分の写真を見て、「この写真をどのように使えばいか」と悩んだ。そこで起こった出来事を感じることはできるけれど、視覚化するのは難しい。そこで その写真といろいろな人形とオブジェでジオラマにすると、そこに、ある意味をもたらすことが出来たのである。
戦争とホロコースト は恐れと 傷心 をもたらす。その癒しを祈る宗教的な イコンは、宗派によらず、希望を表している。周囲に存在する自然は、慰安と自由と感謝の普遍的な場所となっている。
エドワード・レビンソン
2002- 2006年
「マインド・ゲーム」Mind Games
「ピンホールブレンダー」というカメラを使い、3つのイメージを結合させたカラー作品約25点を展示しています。
撮影に際しては、3種の調和する場面あるいは被写体を捜します。そして1枚の写真の中に、世評や社会的な要素やユーモアを表現し、また抽象的な静物の美的世界を創出します。
コラージュは、コンピュータの上にではなく、カメラに作成されます。中判 (ブロニーサイズ)のカラー・ネガフィルムは、ラボで現像され、そのネガを、私自身でコンピュータにスキャンして、必要に応じてカラー画像処理をし、そして永久保存用のインクジェットプリントとして出力しました。
幻想的な雰囲気の中に、真実が隠されているかも知れません。その発見を愉しんでいただければうれしいです。
エドワード・レビンソン
2011-2012年
エドワード・レビンソン写真展
「都会の美とシンボリズム」
私は1979年に来日し、35年間在住しています。10年後に東京から田舎に移りましたが、未だに喜々として都会を訪れています。日本でも外国でも都会では、多彩な事象が頻発しています。様々な動き、光、音、色、イルミネーション、人間、影、そして自然さえも都会独特の表情をもっています。私は “フォトホリック”になり、デジタル・カメラを抱えて街を歩き、電車に乗り、美術館を巡ります。こうしたことすべてが視覚的な短い詩、あるいは眼のダイアリーとなっています。
当展では、2009年から現在までに撮影した写真を展示しています。
左右対称のコンポジションが合成風に見える写真もありますが、それらは、注視し待ち続け、“画像フレーム”の中に見出して自然に撮れた写真です。また少し変わった質感と反射の多い被写体は、その瞬間にしか創られない一種の“特殊なフィルター・エフェクト”が生み出したものです。
ひとの心と眼は、不断に奔流するイメージに引き寄せられます─形と色彩、はかなく消えてしまう影、建物に跳ね返る光、夜と昼、ユーモアと美しさ、部分的に切り取られたアブストラクトなどに。
これらの写真は、冷たくハードで煩雑な環境に思われる都会においても、美とシンボリズムが見出されることを示しています。この写真展から、観賞者ご自身の世界観が創出されることを願っています。2024年11月
Moments in the Light きらめきおのなかに
1979年に来日した当初,私はカメラを持たず、写真を撮っていなかった。
1年後、自動販売機で売られていたカメラを見て非常に驚き、110サイズのコ
ンパクトカメラを買った。当時はカメラの有無にかかわらず、私は常に身の
回りのすべてを凝視し吸収しようとしていた。眼福はあらゆるところにあっ
た。38年後の今でも私は未だに「ハングリー」であり、日本の風景や文化に
興奮を覚える。そして今、伝統的な物事や社会的な場面、ユーモラスな無数
のシーンを私は撮り続けている。
「 Moments in the Light」は、私の全感覚をもって感取した視覚的ストー
リーである。単純なピンホール・カメラは、「視覚的刺激と無心」と呼ぶテ
ーマと良く合うのだ。禅の精神と同じように、針穴を開けた黒い「空(から)の
容器」またはデジタルカメラのレンズを外した「センサー」は、光と私の感
情、私の内面と外の環境が出合うところであり、そこで私の日本への熱い想
いが画像となって生まれるのである。光は、私を描く対象となるのだ。
2017年6月 エドワード・レビンソン
「Spots of Light -東京-」
レビンソンは90年代から東京を撮影しています。4x5アナログピンホールカメラからコンパクトデジタルカメラまでを使い、種々のドキュメンタリーとアート作品を撮り続けています。今般、日本在住40年と「東京2020」の記念として、新しいシリーズを発表いたします。
作品について
今回の「 Spots of Light - 東京 -」シリーズは、ハイブリッド・アプローチで撮影した。使用したカメラにはレンズがなく、自分の目がレンズの役目となっている。デジタルカメラのボディーにピンホールを取り付け、高感度のISOを使用するフレクシビリティーによって、フィルムで撮るより幅広い被写体の撮影が可能になる。
私が被写体として関心を持ったのは、私を惹きつけるように輝き、そして闇をもつ場所(Spot)であった。それぞれの写真にはメッセージがある。自然はその面(おもて)に苦悩を表し、人間の留意と尊重を得ようとしている。通信機器の世界に閉じ込められた人々を注視すると寂しげで、悲しみが襲ってくる。日本の精神的伝統や、旧い東京のノスタルジックな断片に遭遇すると、都市開発への熱狂に疑問が起こる。
これらの光と影が私のコンテンツとなっている。そしてその課題がスポットライトに輝くことを望んでいる。これらのことが、私にこの作品群を生み出させたのである。
2019年秋 エドワード・レビンソン
70年の橋を渡る A 70 Year Journey (Pajtas camera series)
2020年パンデミックの始まりの時期、われわれの世界がとても静かになりました。私たちのほとんどは、今までに余り意識していなかったことを、無理やりに見なければならなかったことに気づかなければなりませんでした。アーティストとして一時的かもしれないけれど、新しい見方と創造方法を見つけることが必要でした。
アトリエの棚のカメラと道具を見つめながら、20年前にブダペストで買った中古カメラをまだ使用していなかったので、試すことにしました。買った時、
ピンホールカメラに変換する予定でしたが、何かの理由で、そのオリジナル
レンズを外す勇気が出ませんでした。1950年代にハンガリーで作られたこのカメラは、シンプルなベークライト「 パジャタ」カメラです。(ハンガリー語で「仲間」を意味する。)ということは、カメラの年齢は私と同じくらいですね!
共産主義時代、若者たちは自分たちの生活をこのカメラで記録することが奨励されたそうです。
それで気楽に、自分の今居る近所を廻って、普通のものを見て、被写体がこのソフトなレンズでどうなるかを想像しながら撮影しました。パンデミックの状況が緩和されるにつれて、少しずつ東京と他のロケ地で撮影を広げました。この
カメラには「普通の」風景を「特別」に見せる力があることに気づきました。
私のピンホールカメラとは異なり、このカメラにはシンプルなファインダーが
付いています。三つの基本的なF値しかなく、シャッタースピードは一つだけです。言い換えれば、技術的な設定に関して心配する必要はほとんどありません。ただ被写体を見つけ、古くて見にくいファインダーでフレミングを決めて、息を止める、シャッターを押す。現代のフィルム乳剤を使用し、自分の暗室で現像して、そのあとパソコンでスキャン、画像処理、アーカイブインクジェット印刷で仕上げる。新しい見方で70年の橋を渡ります。
エドワード・レビンソン 2024年7月
フランスの光 Spots of Light – France
2013と2018年の間に4回、数種のピンホール・カメラを携えてフランスに行った私だが、主に使ったのは、標準レンズと同じ焦点距離のカメラだった。自分の目で見るとおりの目前の光景、そのままの光、フレーミングに細かく注意を払い、場所と時間により、アナログフィルムの4x5インチと中判6x7cm、そして自分で手作りしたピンホールボディキャップが着いているデジカメラを使い分けた。
フランスの光は常に芸術家にインスピレーションを与えてきました。私が訪ねた6地域は、どこも素晴らしい特質をもっていた。ボージョレーの友人の旧い庭園。地元の写真家に案内されたルー川河畔の谷。秋のモネの庭、ゴッホが愛したアルルの町、映画祭の街カンヌ、16世紀の詩人ピエール・ド・ロンサールが住んだトゥールの僧院は詩作をし、野菜やバラの花を育てていたのだ。そしてパリの街を何時間も歩き回った。
これらの光のスポットに、私は現在と過去の真髄を見出した。
エドワード・レビンソン 2024年9月
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